週報。ゲームとかお金とか

振り返ってみると毎週書けてない。ゲームやお金の話が多い。

正義を執らず、見て見ぬフリをする人を責められない。

正義のための告発を行うには、なんらかのリスクも伴う。自分がそういう立場に置かれたらどうするか?というのを考えてみるのは、その時が来た時に少しばかり役に立つかもしれない。

 

・目の前でひったくりが発生、犯人はこちらへ逃げてくる

・上司の不正の証拠を見つけてしまった

・友人の浮気を知ってしまった

 

程度の問題によっては見て見ぬフリをするし、徹底的に解決せずとも、匿名で助言をする程度にとどめることもある。

映画やドラマだと、たいていはそういった不正に対して戦っていく主人公が描かれる。ヒーローに目指す能力ゼロで凡人の主人公が、勇気を出してチンピラに襲われてる人を庇って戦う。「困っている人を見て黙ってるだけなのはもう嫌なんだ!」と立ち向かい、そこで彼は敗れても、時を経て真のヒーローになる…というような。

(これは映画キックアスの名シーン)

 

ところが現実は甘くなくて、本当に重要な場面であるほどに自分のリスクは増す。例えば、ひったくりの犯人にナイフで刺されるかもしれないし、上司の不正の証拠を社長へ報告したら実はグルで自分がクビになってしまうかもしれない。浮気を暴くと友人を一人失ってしまうかもしれない。これくらいならまだいいけれど、最悪、逆恨みで殺されるかもしれない。考えすぎかもしれないけれど

 

「ヤバい経済学」という書籍には日本が誇る国技、相撲の八百長疑いについて言及がある。少し昔に、問題視した元力士2人が告発を試みた・・・というエピソードが紹介されている。

2人は脅迫電話を受けるようになった1人やヤクザに殺されると友達に言って怯えていたそうだ。それでも彼らは東京の外国人記者クラブで記者会見を開くことにした。しかし、そのちょっと前に2人は亡くなった――ほんの数時間違うだけで、同じ病院で、同じような呼吸疾患で死んだのだ。警察は犯罪はなかったと宣言し、操作は行われなかった。

 

自分が当事者の場合、どうするべきか?を想像してみると、案外、映画程には行動できないな、と思うところもある。(誰だって大抵、死にたくはない)

 

加えて、部外者から見た場合も想像してみる。

時折、「不正に気付いていながら見過ごす人も同罪!」といった意見を目にしたり耳にすることもあるのだけれど、様々なリスク(死もありえる)を考えると、当事者に正義を強要させるのは躊躇する。。身近にあるものだと、いじめを見て見ぬフリ、だろうか。「見て見ぬフリをせず闘え!」と外から言うのはあまりに無責任すぎる。闘わせて、当人が代わりにいじめられる事になったら、それは自己責任なのだろうか。

 

もし正義を執るべきだと考える部外者ができることがあるとしたら、見て見ぬフリをする人を糾弾することではなくて、そういった告発を最小限のリスクで行える仕組みを支援することにエネルギーを注ぎたい。

そして、もし大きなリスクを覚悟して正義を執った人が現れたら、褒めたたえるとともに、何かしらの支援をしてあげられたらな、と思う。